今回は地元にある歴史の深い神社へ参拝しました。 内外の読みは うちと です。
今でこそ大きさとしてはそれほど無いように見えますが、その歴史は未だ謎の深い
神功皇后の時代にまで遡ります!


 
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 今大人気のうどん店の駐車場の横の細い道に、鳥居があります。
この裏側にも立派な参道があるようですが、今回はこちらから。

形は神明鳥居。大神宮を祀った神社なので、鳥居は最も古い形です。

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 鳥居の道を進むと、中々立派な土俵がありました。
この奥には、松尾公園があります。神社はこちらから右側を上がります。
 祭事の際はこの土俵を使うのでしょうか。


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 こちらが内外神社の社殿。

  神社由緒を見ると、この内外神社
神功皇后が三韓征伐からの帰途、堀江に停泊して熟田津の湯に入った後
高磯山田にあった行宮にとどまり、大神宮を祀って谷田山に奉斎したそうです。
 堀江から熟田津までは牛車か何かで移動したのかな? 神功皇后が牛に乗った像とかありますよね。
 あれは三韓征伐の折だったと思いますけど(笑)

 高磯山田というのがどこかは分からないのですが(今はゴルフ場と農地の山田町?)
谷田山という山は今もあり、上水道の平田配水池となっています。(平田は町名)

 その後、時の遷りと共に元寇から凱旋した河野通有らが立願し、嘉吉の年に河野氏によって再造営。
正徳の5年に社殿が再造立されたとあります。
現在の場所は、平田配水池のある谷田山から北の福角町となっています。
遷座後も河野氏北條氏、地名にもなっている福角氏や、この周辺に今も多い大内氏によって崇められたようです。

 その後明治の初年まで、松山藩主の代参などによる参拝があり
昭和26年には伊予松山藩の藩祖、松平定勝の叔父の家系である久松家からも代参があって
昭和34年には拝殿を茅葺から今の瓦葺に改築としたようです。


 
古墳時代から昭和に至るまでのとても大きな歴史を秘めた、内外神社。
神功皇后については未だその実在性について意見が分かれているようですが、近代に至っても続いた大きな信仰には、深い意義があると言えるのでしょう。




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 その後、下の方で空キレイだなー って見上げてると……
大雨に振られました(´;ω;`)
 今回の写真は全てスマホで撮ってます。カメラは持って行ったのですがSD忘れましたorz↓↓
 ノイズ塗れだったのですが、編集ソフトでどうにかなるもんですね(笑)
でも画質は明らかに悪いので、またlightbox外してますー;;

 ちなみに、私の片親の更に片親の祖先は朝鮮貴族なのですが、三韓征伐は支持派です。
二次大戦で敗戦以降、愛国的な思想は根こそぎGHQ等々に折られましたからねえ。
こんなの折る筆頭でしょう。

……なんていっても、純血主義の右翼の方々からすれば自分は混血ですからねーはははー\(^o^)/

 ではまた!