広島への原爆投下直前まで、愛媛の今治は空襲に遭っていました。
その回数は三度。 その惨禍を記録し伝える為の戦災の碑が、今治にあります。

  Nankobo
 戦災の碑が置かれた、南光坊
594年に推古天皇の勅によって大三島に造立された後
文武天皇の勅により、この地に勧請したようです。

 その後、長曾我部元親らによる天正の兵火によって伽藍が焼失し、後に別宮の別当寺として再興されたそうです。
そして明治の廃仏毀釈により、現在横にある別宮大山祇神社と分離となりましたが
冒頭で書いた通り、昭和20年8月の空襲によって罹災してしまいました。

とても長い期間をかけて再建が行われ、上の写真にある山門は平成10年に再建されたものです。

 
 Sensai_Monument
 山門の横にあるこちらが、戦災の碑。
この碑には犠牲者の追悼と平和の祈念、そして空襲の惨禍を伝える思いが込められています。

 横にある石板には、この空襲について記されています。
第一回空襲は4月26日。
第二回空襲は5月8日。
第三回空襲は8月5~6日。

総務省のページに綺麗な写真がありますので、被害の詳細を記した部分が気になる方は
今治市の戦災を記録する会」で検索し、出てくる総務省のページをご覧ください。


 Basho's_Haiku_Monument
 中に入り、南光坊の境内。
前にある碑には芭蕉の句が刻まれています。
横にある説明書きによると、芭蕉を慕う人々が建立したものであり、戦災にあってヒビが入ったそうです。
再建された他の建造物では見る事ができない、空襲の凄惨さが見て取れる気がします。


 Bekku_Oyamazumi_Torii
 南光坊のすぐ横にある、別宮大山祇神社の鳥居。
この日は中でお年寄りの方が参拝されていたので、写真はこちらだけで。

 今は往来自粛が大切で行く事ができませんが、コロナ問題が収まれば必ずお参りしたいです。

 今回はこの辺りで。 ではまた!