一夜漬けが通ります =´=´ω=´ω`)ノ
この一週間は試験の缶詰めでした。(一部うどん県など出かけた日もありましたが)
私の抱えている記憶障害の都合上、次の日の科目を前日の夜に詰め込む必要がありまして
つまり、一週間ずっと徹夜でした。
人間って横になって寝なくても生きられるのですよね。
そういえば、デキる人は頭を使わない間、極短時間の睡眠を断続して取ると聞きます。
脳挫傷前の私もやっていたのですが、凡才の私がやると頭のリフレッシュができなくなっていました。
物事を忘れられず、同時に複数の考えが起こり、頭がいっぱいになるのです。
記憶の整理や情緒の安定という観点でも、凡人にとって睡眠は大事なものですね(-_-;)
加えて今の私は記憶障害者。 事故前と比べて何が違うかと言うと、それは文脈。
『〇〇と言われた』 『××と会った』 『▽▽に見られた』 『△△された』
こういった局所的な記憶は残っても、それを繋げるストーリーはまっさらです。
文章で考えるなら、単語だけが見えていてあとは空白といった感じ。
それに試験をやらせようとしたら、並みの点数を取るに必要なのは並みの努力ではありません(´;ω;`)
参考書を読み、三度読んで把握して、次は重要な単語を模写。転写。複写。
次は書を閉じて単語を想起。 その意味を思い出し、単語同士を繋げる文脈を思索して模索。
頭の中に参考書のコピーを作る為には、ここまでしなくてはいけません。(-_-;)
…といっても、ここまでやって作られるのはあくまで劣化コピー。
きっと他の人が見たら、私のやっている勉強は実に奇妙だと思います。
"いやそれは本に書かれてるだろ" "読んだら分かる事に何やってるの"
というのが普通の方の考え方。
「覚えられない人」のやっている事は健常者には絶対に理解ができません。
ですが、ここまで遠回りをして私が得たものがあります。
それは努力するという過程です。
ヒトの会話やコミュニケーションというのは、すぐに出る解答を敢えて遠ざけて、遠回りを繰り返す側面を持っています。
自慢話や同意を求める感想。 他人の噂話などがその類ですね。
いずれも会話の開始した時点からやりとりのひな形が決まっていて、そこに意味はありません。
しかしその関係の構築は、社会を生きる上で助け合う関係を培うものです。
その関係を築けない者がいじめの対象となり、人間不信や被害妄想といった末路に至るのは想像に易い事でもあります。
あえて(無駄な)努力をするというステップを踏むことで、この遠回りという人間性を学ぶ事が出来たと私は考えています。
何も障害を抱えていない方も、挫折した時にこのような受け身を取れると良いものです。
ということで、今回は雑談でした。
何か根詰めた後はバカをして発散するのも良い事です。
私はカラオケに行かなくてもオーディオルームができてますので、オンチな歌を歌っています(笑)
ではまた!