やや。 今日も良い景色。
 時に蛇の視点からあまねく全てを見い上げて。
 時に鷲の視点から
惣別のことを見い下して。

 あらゆる全ての責任からの逃避を可能とする、免罪符。
 絶対的な優劣を示す切り札。 何人たりともこの事実を示されては認めるしかありません!

 しかし、弱者に成り果てて思うのです。 人権...って、何なのでしょうねえ。
 立場としては同様の弱者の位置に立つ、周囲のある人は言うのです。
 「俺は頭が悪いから割を食って生きている。平等や公平を謳う学制でも、オレは例外だ」
 ...と。

 その方は、同様に人権の不均衡を持ち出します。 片方が上がれば、他方は下がると。
 それは不公平だと。片方の人権を無視していると。

 形而上の空論ですよねえ。下がるから上がるし、上がるから下がる。
 人間の感性って相対的なものです。成功するから失敗が出るんじゃなく、その逆。
 失敗者が居るから、成功者は自分を成功していると認識できる、というだけ。

 でもでも、です。
 もし絶対的な失敗者が居れば、その他は自分を成功者だと知覚できて満足できる。
 そして失敗者の方も一々無駄な努力に明け暮れず、のんびり鎮座できる。
 究極のハッピーエンドじゃないですか。 ガリベン志望と呑んだら志望の両立。

 私? 私は勿論、失敗者ですよ。 脳みそ削って知能低下したんですし。
 おかげで皆さん受験勉強で死ぬほど忙しかったところを、私は頭蓋骨を開いて脳の壊死&感染部分を取ったり、病床で癲癇の発作が起きて左半身と喉の筋肉が硬直して窒息&意識喪失 これを何度か繰り返すだけ、ただのんびり死にかけていただけでした。

 今は退院して記憶障害がチと残るだけ、ただの一過性の拷問でした。
 人はよく「そのくらいの努力、誰でも人生の中で乗り越えるモンなんだ」と私に言ってきます。
 皆が言うならそれは社会通念上の常識なんでしょ。
 総体的な結果なんだから、私一人の異議では歯が立ちません。
 それに言い返そうとする人が居ましたが、むしろ私はその人を可哀相と思います。

 全部が揃った人の葛藤って、一部あるいは全てが欠けた人から見ると滑稽だったりします。
 なんで通らないんだ、なんで認めてくれないんだ、なんで入れてくれないんだ

  ただの甘えじゃないの。
 スパリと切ることができます。足りないところがあるから達成できないだけ、お門違いなら赤子以下。
 足りないのは自分の所為ではない、という超理論的な願望を叶えるように見える手立てが、人権というツール。
 煽て文句に過ぎないソレで護られ安心している様は、滑稽の極みです。

 衣食住が完備されていて、教育も水準以上、友人も沢山居る人の人権主張って、大人になっても揺り籠から卒業できないヒトを連想させるのです。